玉川電車

   玉電は多摩川の良質の砂利を東京へ運搬するために「玉川砂利電気鉄道」として計画された。電車には貨車を連結するための連結器も備えている。客車は定員40人。運賃は、全線を五区に分け、一区を三銭としたが、当時としては高く、電車賃を惜しんで歩く人も多かった。
 玉電は更に発展を続け大正14年には世田谷の奥の開発のため三軒茶屋からの支線(今の世田谷線)を開通させている。

(創立120周年記念誌)