開校当時の校舎推定画(黒沢唯二元PTA会長板画)

 昭和54年、百周年記念誌に掲載のため描いたもの。
 平面図の資料しか残されていないため苦労があった。この辺のワラ屋根の角度は45度傾斜と考え、また、中央入口にはヒサシがあったと想定した。教場の床はそれほど高くなかったと考えられる。
 新築して1年たらずの校舎が暴風のためとはいえ倒潰したのは「六十四畳敷のガランとした教場の東西、北側のほとんどが窓か出入口で、その壁の少ない構造が倒壊を早めたと思う。」と、黒沢さんは昭和54年11月の「PTA京西」に記している。そのためか明治15年に再建された校舎は壁が多い構造である。

(創立120周年記念誌)