〔校歌について〕

   京西小学校校歌は、昭和24年11月30日に制定された。作詞は、昭和17年〜19年まで本校に在職された吉川静夫氏である。氏は昭和17年に北海道より上京し、用賀に居住した。家の窓から、雪をいただく富士山が、いつもくっきりと見え、その印象が、「紫におう雲の上 富士のたかねの雪の色」という詞になったという。
 また、当時の用賀は緑濃く、風も都心とはちがってすがすがしく思われた。校歌二番の「風もさやかに 光あり」は、武蔵野のおもかげを残す当時の用賀のすがたを思いおこさせる。三番の「平和の鐘の あけくれに 進む時代の 歩みあり」は、終戦から間もない昭和24年という激動の時代に、平和の願いをこめて書いた、と吉川氏は話されている。
 作曲は、吉川氏と同じ音楽会社に所属した飯田信夫氏に依頼した。吉川氏は、それ以後「長崎の夜(青江美奈)」「女のためいき(森進一)」の作詞で、詩人として活躍され日本音楽著作家連盟会長を努められていた。
 子ども達が元気に歌う「京西、京西、わが母校」のくり返しの部分は、昭和8年以来、いくつもの市歌、校歌の作詞をされた吉川氏の工夫、苦心の存するところであるという。

(創立120周年記念誌)