世田谷ふるさとめぐり(用賀・馬事公苑コース)北コースその3

お問い合わせは玉川地域活動団体連絡協議会
事務局・世田谷区玉川総合支所地域振興・防災係
TEL03−3702−1131(代表)

28.谷沢川湧水池跡(やざわゆうすいちあと)

上用賀6−22

谷沢川は用賀、上用賀地域の湧水や溜池を水源として大山道近くで合流、田中橋の下をくぐって中町、上野毛を通って等々力渓谷を形成し、多摩川に流れ込んでいる全長3800mの川ですが、その湧水池の一つが、ここにありました。池の水は湧き出るというより、世田谷通りの北側、東京農大の近くや宇山の方から流れ出た小川の水がここに溜まったという方が正しいかも知れません。池には葦が繁り、木が2本生えて小島もあったそうです。コイやウナギのほか小さな魚もいましたので、近所の子ども達にとっては格好の遊び場でした。
また、この池のほかに上用賀4丁目には『田頭池』(でんがしらいけ)という小さな湧水池もありました。

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29.三峯神社(みつみねじんじゃ)

上用賀6−4

三峯神社の本社は埼玉県秩父郡大滝村にあり、正しくは白岩山、雲取山、妙法岳を総称して三峯と呼び、その一角に日本武尊(やまとたけるのみこと)が祀った神社といわれています。のちに、狼、山犬、猪など、野生の動物から身を守り、諸難を除く神様として関東一円に、その信仰が広がりました。
この社は地域の三峯講の人達によって守られており、毎年、交替で代表の人が秩父の三峯本社まで参拝に行き(代参といいます)、盗賊除御守護(とうぞくよけごしゅご)、火除御守護(ひぶせごしゅご)、諸さい除御守護と三種の神札(しんさつ)をもらって来ます。そして講に入っている人の家では入り口や台所に、その御札を貼って、家の安全をお願いします。
なお、境内右側奥には宝暦6丙子年(1756)10月建立のお地蔵さま、鳥居の手前右側には天明7丁未年(1788)10月と年号が刻まれている庚申塔が建っています。いずれも昭和9年以後の耕地整理事業の時にここに移されて来たものです。

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30.砧パークブリッジ(きぬたぱーくぶりっじ)

上用賀5−14

(石票は橋の上にあります)
平成7年6月に完成した、環状8号線で最もおしゃれで快適な歩道橋、それが砧パークブリッジです。
これまでの歩道橋は、お年寄りや身体に障害のある人たちにとっては利用しにくいものでしたが、この橋には車椅子でものぼることのできるスロープがつけられています。また、隣の上用賀アートホールのエレベータを利用して直接橋の上に出ることもできます。
ゆるやかな勾配のスロープをたどれば、そのまま砧公園の園路へと続き、世田谷美術館も間近です。
砧パークブリッジはお年寄りや障害をもつ人、だれもが使える橋として、多くの人に親しまれています。

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31.洗い場(あらいば)

上用賀5−15

今は蓋がされていて見えませんが、このすぐ脇を谷沢川が流れています。昭和の中頃までは、この川の所々に洗い場が設けられ、近隣の人たちに利用されていました。
ここは、主に本村(用賀4町目、上用賀3町目)の農家が、市場に野菜を出荷するために使っていた洗い場で、用賀には上(かみ)、中丸(なかまる)、下(しも)、向(むかい)にも洗い場がありました。
当時の用賀は農業が盛んで、昭和26年には近隣の有志が集まって『用賀農事研究会』を設立、品種改良や技術革新など農業の発展に大きな役割を果たしました。またこの頃の谷沢川は水もきれいで、カワエビやゲンゴロウ、ヤゴ、イモリ、カエル、ザリガニ、アオダイショウなどが棲み、子ども達の格好の遊び場でした。

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32.用賀いらか道(ようがいらかみち)

上用賀5−7

舗装に使った瓦から「いらか道」と呼ばれるこの道は、”楽しく歩けるまちづくり”の一環として昭和61年につくられました。田園都市線の用賀駅から世田谷美術館のある砧公園まで続く約1kmの所々には、人工の流れや噴水、休憩のためのベンチ、木陰に覆われた並木道など、さまざまな工夫がされています。
舗装の瓦をよく見ると文字が刻まれています。これは、鎌倉時代初期の歌人、藤原定家によってまとめられた小倉百人一首という歌集の中に入っている和歌で、今ではお正月のカルタでお馴染みになっています。
歌を読みながら道をたどれば、目の前に新しい用賀の顔、世田谷ビジネススクエアの高層ビルが現れます。

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33.中丸地蔵(なかまるじぞう)

上用賀5−7

お地蔵さまの正式の名は地蔵菩薩、遠くインドの神話の中に生まれて、仏教の中に取り入れられ、奈良時代、中国大陸を経て日本に伝えられた仏さまです。
左手に宝の玉を持ち、右手に杖、頭は坊主頭で、やさしい顔をしているので子どもにも親しみの持てる仏さまです。この中丸のお地蔵さまは、やはり、旧道の道しるべの役目をしていたようで、お地蔵さまの台座には右府中道、左大山道という字が刻んであります。今から約200年前、享和2年(1802)、用賀村の女念仏講の人たちによって建てられました。今、旧道はなくなってしまいましたがお地蔵さまは、元のまま北向きに建っています。

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