玉電の追憶

昭和44年5月10日撮影
「玉電」最終日の用賀駅です。
地元の方々から乗務員に花束が贈呈されました。
新道(バス通り)の一角にある
玉電用賀駅跡の碑です。

 玉川電車、通称「玉電」は、都心で道路舗装したりするのに必要となる砂利を、多摩川から渋谷に運び込むために、明治40年(1907年)3月から4月にかけ、玉川電気鉄道として玉川〜渋谷間に開通したのが始まりです。当初は線路幅を1067mmで、客車の後ろには貨車を連結して砂利を積んでいたことから、別名「ジャリ電」とも呼ばれていました。大正9年(1920年)に線路幅を1372mmに改軌して、今の世田谷線の線路幅になりました。

 電車を走らせるに当たっては線路が必要ですが、線路をそのまま引かれては子供たちの遊び場がなくなったり、荷車が通れなくなるなどの理由により、併用軌道方式が採られました。発車合図の「鐘」から「チンチン電車」の愛称もしっかり定着していきました。尤も用賀駅付近は専用軌道となり、今の用賀駅よりもやや東側に当時の用賀駅が建っていました。現在「用賀駅跡」の碑のある所がそうであり、今のバス通りが当時の専用軌道でした。

 当時、用賀方面から渋谷へ買い物に行くには、ほとんどの人は歩くか馬車に乗るかだったそうですが、それでもこの路面電車は、地元の足として、次第に定着していきました。その後天現寺線(渋谷〜天現寺橋)・世田谷線(三軒茶屋〜下高井戸)・砧線(玉川〜砧)・中目黒線(渋谷橋〜中目黒)・溝ノ口線(玉川〜溝ノ口)と開通していき、逐次発展を遂げていきました。昭和12年(1937年)には渋谷駅に玉電ビル(現在の東急百貨店東横店西館)工事が始まり、昭和13年(1938年)12月20日から玉電ビル2階に乗り入れるようになりました。ちょうど営団銀座線・京王井の頭線に挟まれた場所、現在の渋谷マークシティ内に駅がありました。ここに続くJR山手線の2階改札は、現在でも「玉川口」を名乗っており、歴史の片鱗を見せています。

 玉川線と分離運転されるようになった天現寺線・中目黒線は、昭和12年7月27日から東京市電の電車を借りての運転になりましたが、その後昭和13年11月1日から東京市に経営を委託、更に昭和23年(1948年)に3月10日から正式に東京都へと譲渡されました。一方、溝ノ口線は第二次大戦中に線路幅を1067mmに変更して、昭和18年(1943年)7月1日から大井町線が乗り入れるように変更されています(昭和41年3月に専用橋梁が完成して二子橋と分離されました)。また、この間の昭和13年4月1日に玉川電気鉄道は東京横浜電鉄(旧・目黒蒲田電鉄と共に現在の東京急行電鉄の前身)に合併され、その後は「玉川電車(玉電)」と呼ばれるようになりました。
 このような形で、戦後は玉電として玉川線・砧線・世田谷線が残りました。

 昭和30年代になり、沿線人口が増えるに連れて玉電の利用客も増え、また道路には車が増えていって次第に定時制が守れなくなっていきました。「ジャマ電」などとも言われ、2両編成2分間隔のダイヤでも乗客を裁ききれず、新玉川線計画と首都高速3号線の渋谷〜用賀間建設の骨子がまとまったところで、玉電廃止が決定してしまいました。その「ジャマ電」と言われた玉電も、いざ廃止が決定してからはノスタルジーの対象となり、鉄道ファンのみならず沿線住民の多くもカメラを構えたとか。昭和44年(1969年)5月8日・廃止3日前からは、デハ60型65号が花電車となり、玉川線・砧線全線を走り抜けました。沿線ではどこでも、多くの人たちに見送られて惜しまれました。この用賀駅の写真は、玉電がいかに地元に親しまれてきたかを物語っているでしょう。

 昭和44年5月10日で玉川線・砧線は廃止、前後して、かつての天現寺線・中目黒線区間も廃止されました。そして残った区間が世田谷線として、今も元気に走り続けています。その世田谷線には18両の電車が引き継がれました。その後、昭和52年(1977年)4月7日には地下鉄となった「新玉川線」が開通し、新聞などで「ヘンシーン発車」などと報じられましたが、この新玉川線は平成12年8月6日付で田園都市線に吸収され、「玉電」の面影を残す名前はなくなりました。そして世田谷線に引き継がれた旧玉電の電車達もまた、世田谷線バリアフリー化の一環で惜しまれつつも平成13年2月10日までに全車が勇退し、玉電を物語る「生き証人たち」の時代が終わりました。

 玉電の追憶を今に残すべく、ここに載せる次第です。


  平成13年2月 用賀ネット

 左の写真は、かつて公開されていたサイト「レールファン東急」の「あの時、東急は・・・」と題したコーナーで紹介されたもので、用賀ネットでの公開にあたり、東京急行電鉄の許可を得て掲載しているものです。このため、この画像の転載は禁止とさせて頂きます。

 また文面については、玉電紹介記事などを参考にもしたものの、一部不正確な逸話もあるかもしれません。間違いなどがございましたら、ご指摘下されば幸いです。

参考文献:
  新玉川線物語(山本泰史著・多摩川新聞社)
  玉電が走った街 今昔(林順信編著・JTBキャンブックス)

「用賀の歴史と文化」目次に戻る